積読(つんどく)日記

本はただ机の上に積んであるだけ・・・の状態で日々過ごしています。新聞や雑誌・映画・テレビなどから、気になったことを書いています。

映画「鈴木先生」

連続の休みで、たまっていたテレビの録画を見ている。

映画「鈴木先生」(2013年)

鈴木先生が子どもたちに「演じることは、社会に出て大人になって役に立つ」という話をしていた。

 

数年前、放送大学の面接授業で「仕事をしている役、母親・父親の役 子どもの役などなど、みんな何かの役を演じながら生きている 」と教えてもらったことがある。

なるほどなと思ってそれ以来、少し意識しながら行動していた時期があった。

この映画を見て、それを思い出した。

親の役、母親の役、嫁の役、娘の役、妻の役・・・・、あれから、子どもが成人し、義父母が亡くなり、親も認知症で子どもの存在がわからなくなりと、生活が変化していくにつれ、ひとつづつ役がなくなって、今の自分がなんか不安定、寄り処がないと感じてしまうのは、「役がない=することがない、何物でもない」だからか、と思った。

こんな時を過ごしつつ、「年寄りの役」がだんだん身についてくるのでしょうか。

 

 

 

 

 

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NHKテレビドラマ「ふたりのキャンバス」

8月1日 NHKテレビ ヒロシマ8.6ドラマ「ふたりのキャンバス」を見た。

 

広島市立基町高等学校では、10年前から、被爆体験証言者から話を聴いて「原爆の絵」の制作に取り組んでいる。

この取り組みを題材に、原爆の事、友達の事を、知ろうとすること、わかろうとすることなど、短いドラマの中で、縦軸横軸、いろんな心模様を描いていた。

主役の小芝風花さんと、被爆体験証言者役の近藤正臣さん、二人の会話、雰囲気が良かった。

 

現代は大きな出来事が起こっても、リアルタイムに色付きの映像が目に飛び込んでくる。

原爆が落とされたときは、白黒の世界。現実を知っている人が描くか、誰かが書き起こすしか、のちの人に生の映像を知らせる方法がない。

記憶をたどって描けるのも、体験者がいなくなったらできなくなる。

 

高校生たちが描いている、そのことがなんだかうれしいと思った。

絵の力を感じたからか、絵を見て泣きそうになった。

 

 1日のは中国地域版だったが、全国放送で8月5日(土)15:05~放映される。

実はこのドラマに、私人生初エキストラとして参加していて、小芝風花さんをまじかで見た。女優さんにこんなにすぐ近くであったことなかったので、「ぶち、緊張した!」

 

 

 

 

 

 

 

ふりかえって

このはてなブログでは、時々、一年前・二年前・・・の、自分が書いたブログを送ってくる。

先日届いたのを読み返すと、あー恥の垂れ流しだ~。

 

まったく文章を書くのがうまくなっていない。

成長がない。

恥ずかしいよ~。

なんか、おかしいんだよね。

これはやっぱり小さい頃からの読書の積み重ねが少ないからか!

 

 

 

 

 

 

 

 

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使命感

小林麻央さんが逝ってしまって、私も悲しくて悲しくて。

去年9月入院していたとき、麻央さんのブログを読み、凄いと思った。

病気の後ろに隠れないで、前へ。

 

病気を公表せざるを得なくなり、周囲が大きく変わっていく中、ブログという手段を使って自分を取り戻していったそうだ。

自分の状況をオープンにして、素直な心の動きをブログに綴られていた。

 

昨日の麻央さんの特別番組でキャスター時代の様子を知り、もしかしたら、このキャスターの経験があって、「伝える」という使命感を持って最後まで頑張ってこられていたのかもしれない、そう思った。

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聴く力

今月88歳になった母は要介護2で、週に5日デイサービスに通っている。

認知症の症状がだいぶん進んできている。

子どものことが分からなくなっているし、家の中でも迷うことが多くなった。

今日はテレビを見ながら、「どうしたん!? こりゃなんかしゃべりよる」と言う。

ちょっとびっくり。

そうか、母にとっては、テレビは大人になって出現してきたもので、生まれた時からあるものではない。

それまではラジオが身近にあるもので、耳からいろんな情報を得ていたのだ。

それで納得した。

母のもとを訪ねたとき、いつも昔話を読む。

一つ読み終わると、「あ~ええもんじゃね~。聴くいうんはおもしろい」と言う。

私は、一生懸命声を出して読むので疲れて物語一つで終わろうと思っていると、「他に面白い話はないか」と言う。

それでいつも二つ、三つとなるのだが、母がじっと耳を傾けている姿を見て、どうしてこんなに集中力があるのだろうとずっと不思議だった。

今日気がついた。

きっと、小さい頃から「聴く」と言うことは当たり前の事だったからだ。

聴きながら映像を想像する。

もしかしたら、母の世代は想像する力が、テレビの誕生とともに育った世代、携帯とともに育った世代と違っているかもしれない。

 

 

 

 

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絶望=? 意味=?

4月22日NHK Eテレ 達×達 スイッチインタビューは、バリアフリー研究者 福島智×生命科学柳澤桂子だった。

落ち着いて見れる時に、と思っているうちに、録画から一か月近くたってしまった。

「絶望とは、意味なき苦悩  絶望=苦悩ー意味」

「意味は、苦悩の中に希望を抱くこと 意味=苦悩ー絶望  →  意味=苦悩+希望」

「人間の本能の中に、祈りの回路があるのではないか」

このブログにメモしておきたくなった。

 

「絶望」、自分ってだめだなぁとか、どうにもならない状況になったときとか、先が何にも見えないと思ったとき、心の中で何かを信じようと思うことがある。

何か特定の宗教とかではなくて、自分の意味を探す祈り?とでもいったらいいのか。

 

 

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『空白の天気図』

『空白の天気図』柳田邦男著 (文春文庫)

最後まで読み切れるかと不安に思いながらコツコツ読んでいるうちに、徐々に入り込んで読み終えた。

 

去年だったか、宮浜温泉に向かっている途中「京都大学・・・・」と書かれた石碑を車中から見つけて、なぜここに京都大学?と不思議に思ったことがあった。

この本で、京都大学から原爆被害調査に来た人たちが、昭和20年9月枕崎台風の山津波で命を落としているということがわかった。

まさか広島市外で、台風被害で亡くなることになろうとは、学校関係者、ご家族、誰も思わなかっただろう。

 

原爆の影響が台風の被害をさらに大きくし、8月には火に焼かれ、9月には水に襲われ、昭和20年、どんなに大変な年だったことか。

食料もなく、交通手段もない中、歩き回って被爆の状況、台風の被害状況を調査してこられた気象台員の方々がどんなに苦労されたか、頭が下がる。

 

いつかこの本が映像化されないだろうか。

漫画とか、連続テレビアニメとかはどうだろう。

 

人間の、日々の仕事の積み重ねがどんなに大事なことか、また、仕事が、こんなに大変な人災・天災を乗り越えていく支えになったこと、伝えていきたいことだ。

 

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