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積読(つんどく)日記

本はただ机の上に積んであるだけ・・・の状態で日々過ごしています。新聞や雑誌・映画・テレビなどから、気になったことを書いています。

古い箪笥を整理していて、引き出しの下に引いてあった新聞の記事になんとなく目がいき、ついつい読み始めた。

パッと見てまず字の小ささにびっくりした。

そう、昔、お年寄りは虫眼鏡を取り出して読んでいたものだった。今の新聞の字は大きくなっていて、読みやすくなっている。

日付は、昭和60年(1985年)5月29日(水)日本経済新聞

「「電子図書館」など推進 郵政省画像通信開発に本腰」とか「パソコン通信実用化へ」といった見出しに目がいった。

当時、私には全く想像できない世界の話だった。

30年後の現在、各家庭のパソコンで画像を見たり、本を読むこともできる。これらの始まりだったのか。

想像のつかなかった世界の中で、今当たり前のようにそれらを使って生活している。

家にいながらほしいデーターが手に入るなんて、便利になったものだ。

この新聞の記事を読んだ時、「行き過ぎた便利は害」という川上浩司(京都大デザイン学ユニット特定教授不便益システム研究所代表)さんの記事(2015年9月16日(水)読売新聞)を思い出した。

今は、何かわからないことがあるとネット検索ですぐ情報は手に入る。

便利な道具がない時代は、「あのことはあの人に聞こう」とか「そのうちに自分にも必要になるかもしれない」と人の話に耳を傾けるとか、人とのつながりや、付き合いを今より大事にしていたのではないだろうか。

人からいろいろな情報を入手するという能力は薄れてきているかもしれない。

❝検索❞という行為を行えば、すぐ❝わかる❞のだから、こうなると、「検索できないの??」って思われそうで、❝知らない❞ということが言いにくい。

❝人に聞く❞という行為が行えなければ、「訊ける人いないの?」って思われそう。

恥ずかしさや、「私のプライド・・・」なんて思っていたら前に進めなくて、いつの時代、どんな状況、どんな道具があろうとも、「調べよう」とか「訊こう」とか、前向きな気持ちが大事なのかもしれない。

つらつらこんなことまで考えてしまった。