積読(つんどく)日記

本はただ机の上に積んであるだけ・・・の状態で日々過ごしています。新聞や雑誌・映画・テレビなどから、気になったことを書いています。

小学校の制服

新聞やテレビで「東京区立小学校、標準服が最大8万円」という話題を見た。

びっくり!!

子どもが扱うにはちょっと大変そう。

体操服に着替える時とか、親としては「乱暴に扱わないで~」と願いそう。

校長先生が「服育」という言葉使っていた。

狙いは何だろう。

服を乱暴に扱うなという意図もあるのだろうか。

??がいろいろあって、考えているうちに、20年ぐらい前の事を思い出した。

 

よく、よその国の話を持ってくるなと言われる事がある。

しかし、ちょっと書きたくなったのでご容赦ください。

 

我が家の子どもたちが小学生の頃、一年弱アメリカに住んでいたことがある。

体操服なし、給食袋なし、給食用エプロンなし、上靴なし、絵具道具、書道道具、裁縫道具なし、みんなお揃いという状況なし。

体操は、上着を脱ぐぐらい。

「清潔」という点で見ると決して万事こっちがいいとは言わない。

 

しかしこの状況を知って日本の生活を振り返ったとき、「日本の子どもたちは大変だ~」と思った。

毎日いろんな道具を持ち歩く。

一人ずつが「自分の道具」を持っている。

教科書以外にずいぶんお金がかかっている。

そろそろ、学校に常備し、共有して、補充していくぐらいでいいんじゃないかな。

 

動きやすい服装で過ごし、汚れたり、汗をかいたら、健康のため、身体を清潔にしておくために「着替える」。

小学生の間は、こういうことを教えていくことが「服育」じゃないかなと思う。

的外れな展開でしょうか。

お許しを~

 

余談ですが、5年生だった子どものクラスの担任は、2人いた。

午前と午後に分けて担当していた。

日本人の母親の一人が言っていたが、「一人の先生と相性が合わなくても、もう一人の先生で救われる」。

なるほど!

学期末の懇談では、両方の先生から通訳を通して子どもの様子を聴くことができた。

日本だと長い話にならないよう10分くらいで区切られているけれど、30分くらい、しっかり聴けた。

1対1で向き合うのではなく、ざっくばらんな感じで、日本では味わえない感覚だった。

私が通訳を通してしか理解できないから、細かいことはすっ飛ばして聴いていたからかもしれないが、こんな雰囲気いいなぁと思ったことは覚えている。