積読(つんどく)日記

本はただ机の上に積んであるだけ・・・の状態で日々過ごしています。新聞や雑誌・映画・テレビなどから、気になったことを書いています。

鬼滅の刃

鬼滅の刃」 第二夜ー那田蜘蛛山編ー

第一夜で慣れたからか今度は楽に見られた。

テレビで連続で放映されて、この流れで映画見に行こうと思った人が増えたというのはうなづける。

うつらうつらしながら見た私でもちょっと劇場行ってみようかなって思ったから。

 

もう20年以上前になると思うがシュタイナー教育の講座に行っていたことがあった。

その中で童話に関する話があった。

グリム童話とか昔話にはずいぶん残酷な状況が描かれていたりするが、大人と子どもの受け止め方が違う。

「大人は理性が勝ってそんな悪いこと」と思いがちだが、子どもには「勧善懲悪、悪いものは悪い、悪いものは必ず罰せられる、そのことが明確に伝わることが大事」と言われていたと記憶している。

耳で聴くことで想像力を働かせる、「聴く」ことを推奨されていた。

 

私が持った違和感はここだ、目で見せる必要があるのか。

文字のストーリーでよくない?

これはもう商売のための映像化、キャラクターが描かれている商品がずいぶん売れるらしい。

でも、この映像化で大人が楽しめている。

なんだかねー。

時代設定が現在ではなく、漫画の世界の話。

私が小さいころも、漫画のページを繰るのが怖いものもあった。

怖かったら見ないよね。

この映像見ていたら、ただ怖いだけでなく楽しめるような工夫もあるようで、そこが救いになっている。

と、まぁ、こんなことを考えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話題の映画から思ったこと、雑記

今年はコロナの影響で自宅でテレビで放映される昔の映画をよく見ている。

あれ?こんなストーリーだったっけ?とか、やっぱり安心して見られるわ~とか、こういう内容だったんだとわかったり。

並行して今年公開になった映画、話題の映画いろいろ楽しんでいる。

 

アニメは動きが昔と違ってすごいよね。

先日テレビで放映された映画「鬼滅の刃 兄妹の絆」を見た。

次の「那田蜘蛛山編」はまだ見ていない。

なのでこの一本であれやこれやはまずいのかもしれないけど、小さなお子さんがいるお母さんが「子どもに見せていいものかどうかと悩む」と話してたと聞いて、私も自分だったらこれ子どもに見せたいかなと思いながら見ていたので、確かに悩むだろうなと思った。

小さな子どもは遠ざけておくことができても、これだけ世間で大きな話題になっているので、子どもが目にしないわけはない。

コロナの巣ごもり状態が、子どもに毎日の鍛錬をさせる動機づけになっていたのかな。

映画を見ながら「こんな風に子育てしたらいいのか」というヒントはあるなと思った。

 

「正面から子どもを叱れない、だからアニメで子どもを教育してもらおう」なんて傾向ないかしらん?

ひねくれてますかね、わたし。

親が見て楽しんでそのヒントを子育てに役立てたらいいんじゃない?なんて思った。

 

先日はシネマ歌舞伎 「三谷かぶき 月光露針路日本風雲児たち」を見に行った。

安定の役者さんの演技、豪華舞台。

映画館で上映前BGMでずっと流れていたがあのメロディ・声がずーっと頭の中で流れている。耳に残るのですよ。

 

映画「浅田家!」これは間違いなく良かった。

シャッター音を響かせたい。

 

黒柳徹子プロフェッショナルとは

9/22 NHKプロフェッショナル黒柳徹子との10日間

「・・・自分のまんまできたなって思っている。・・・これで死んだとするじゃないですか。そうするとああこんなもんだったんだ、こういうのだな人生は、と思ってね。もっといろんなことがあるのかもしれないけど、知らなかったのかもしれないけど、それはそれでまあいいやと思って・・・私が知った限りの人生でいいかなと思ってね。・・・後悔は別に何もしてない・・・・子どもを産まなかったということに関しても・・・子どもを育てられなかったことも不幸せとは思ってないし・・・何も思い煩うこともない・・・ごめんなさいね。(後悔は)これっぽっちもないわ」

「過去を引きずらない  現在だけを考えて生きている  個性かもしれない」

「プロフェッショナルとは・・・・高度の技術と知識をもって仕事を継続してやっていくことと思ったんですけど、 情熱をもって熟練した仕事を継続してやっていける人」

一字一句書きとれたわけではないので、違っていたらすみません。

 

「嘘はダメ、正直である」よくテレビでそんなことを言われている。

後悔はこれっぽっちもないなんて、すがすがしい。

 

黒柳徹子という人を意識して見聞きするようになったのは、彼女が仕事を辞めてアメリカへ勉強しに行って、そこでの生活を紹介した女性誌だったか化粧品の宣伝雑誌だったかを読んでからだ。

38才の時だったそうだ。

当時私は10代後半だったかな。

私の中では昔から芸能界にいる人というぐらいの知識だったけど、そういう人が結婚とかでなく仕事もやめて勉強に行くってなんてかっこいいんだろうと思った。

特別な人生を送っている人なんだ、自分とは違う。

私なんてまだ若いのに家を出る勇気もなかった。

こんな風に生きていく人もいるんだなって興味を持った。

 

帰国後「徹子の部屋」が始まって最初からよく見ているほうだと思う。

衣装が楽しみで、知らない芸能人の過去の話や職人さんの作品を見るのが楽しくて。

年数を重ねて今も淡々とお仕事されている。

亡くなられた樹木希林さんがお元気だった頃も、よく対比して考えて見ていたりしていた。

お二人とも自分という人間をよくわかって自分の中でちゃんと筋を通して仕事をされているなと思っている。

「情熱」を持って今目の前の仕事に集中、そんな姿勢が共通しているのかな。

 

最近少しずつ気がついてきたこと、結局誰一人パーフェクトな人生は送れないということ。

何がパーフェクトか、「自分が知っている人生で起こるすべてを体験した人生」ということになるのか、「知りえなかった人生」もあるわけで、黒柳さんが言われた「私が知った限りの人生でいい」この言葉に「それだ!なんとなく感じ始めていたこと、気がつき始めたこと」。

明確な言葉で示してもらった、そんな感じだった。

 

結婚した年、第九ひろしま'89のゲストが黒柳徹子とわかり、合唱団に申し込んだ。

同じ舞台に立てたことがうれしかった。

まったく正面から拝見できませんでしたが(笑)

 

番組内で「100歳の時また取材に来て」と言われていた。

これからも日々淡々と未来を楽しみにお仕事励まれるのだろう。

100歳のプロフェッショナル、どんな話をされるのか楽しみだ。  

「信じる」

今村夏子作の小説が映画になった。

芦田愛菜主演「星の子」完成イベントで語った「信じる」について

 

『「裏切られたとか期待していたとか言うけど、その人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。見えなかった部分が見えたときに、それもその人なんだと受け止められることができる、揺るがない自分がいることが信じることと思いました」「揺るがない軸を持つことは難しい。だからこそ人は『信じる』と口に出して、成功したい自分や理想の人物像にすがりたいんじゃないかなと思いました」 』

 

私は20代後半「人を信じるから何かあったとき裏切られたと寂しくなるのだ」と言われたことがある。

「え~、それじゃ人との絆?つながり?関係はどうなるの??」なんて思ったけれど、頭のどこかにそれがあるからだろう、それからは人との距離が緩くなった。

「人を信じる・期待するから裏切られたと思うのだから、信じないわけではないが期待しなければいいのだ」そう思い始めた。

人に期待しない、人は自分の思う通りにはならないのだからと割り切ってお気楽に過ごしていた日々があり、その先に、自分がその人の期待通りではなかったと気づかれ去っていかれることもあり、寂しい人生をおくっているなと思っている。

 

芦田愛菜のようにここまで明確に言葉にできるほど考えてはいなかった。

芦田愛菜16歳

考えをきちんと言葉にできる、すごい!!

 

今朝の情報番組「スッキリ」で、前田裕二さんが哲学イデアの話としてこんなことを言っていた。

『「リンゴは赤いもの」とだけ思っていたら、青いリンゴに出合った時これをかたくなにリンゴと信じないことがある。それでは見方が狭すぎる。「これもリンゴか」と見方を広くすることが大事だ 』 とか。(一言一句正確ではありません。私の理解が入ってます)

司会の加藤浩次さんが「自分の軸をしっかり持って・・・」と言うと、ロバート・キャンベルさんが、「軸はコマのようにいつも揺れている。いろんな意見に出合って影響を受けたり反発したり、軌道修正しながら生きている。軸は揺れていい」(これも私の聞きながらの理解です)と。

芦田愛菜さんの「信じる」についての話から、これらの展開が面白かった。

 

揺れる自分はいとおしい。

いとおしいと思う自分を信じたい。

こんな自分を信じたい。

そして他人も揺れていて、揺れる他人も信じたい。

 

「バチがあたる」に変化

8月13日読売新聞朝刊

ニュースの門 「バチがあたる」信じる本音は

という記事があった。

 

「「バチがあたることがある」ー。そう考える日本人が7割を超えた。」そうだ。

2020年76%  1964年(56年前)41%(読売新聞世論調査)

 

「「悪いことをすると閻魔様に地獄に落とされる」といった宗教的な道徳観が再評価されたわけではなさそう」

「不公正な社会への不満が含まれるからだろう」

「『バチがあたる』というより、『バチがあたるべきだ』という意識が強まっているのではないか」

 

「バチがあたる」と考える人が増えている!

減っているのだろうと感じていたので、この記事にびっくりした。

 

「あんな事しよったらバチがあたる」

さいころよくそう言われたものだ。

親や大人は、人に注意しながら、わが子や自分自身に自制を促していたのだろう。

 

このフレーズ、聞く機会は減ってきていると感じていた。

「バチがあたる」なんてことはないんだ」と聞くことが増えてきている気がしていた。

それが今「バチがあたる」に大きく社会が動いている。

 

確かに、「バチがあたった!」なんて明確に認識できたら、その瞬間気持ちはスッキリ!

便利な言葉だ。

でもそれが口にできない、人には言いにくい。

だから、「バチがあたるべきだ」という本音が増える?

脳内パカッ!

式場隆三郎 脳室反射鏡展に行ってきた。

コロナ感染拡大につき、会期が今月26日までに延長されている。

 

宣伝文句の中だったか「脳内パカッ」という言葉を見かけて、自分の縮こまった脳内を拡張させたいと思ったのだ。

 

複製だけれどゴッホの絵がずらーり!

山下清の絵も!

草間彌生の絵も!

 

ゴッホは一枚一枚が近い距離で展示してあるので、一挙に楽しめる。

山下清の貼り絵、好きだな~

ふんわり、やわらかい。

草間彌生、気が遠くなる点・点・点

 

一番心動いたのは、木喰≪葬頭河婆半跏像≫1804年の作品

「死人の衣服を剥ぎ取るとされる葬頭河婆の像」

こういうお顔の像、今まで見たことない。

「なんじゃこりゃ!」

脳内パカッ!

近くで見て迫力あった。

何とも言えない表情なのだ。

人間の心の奥底にある黒い感情か、深い情か。

ユーモラスに見える表情なのだけど、心に引っかかる。

見る人のその時の気分によってどんな風にも見えるのでは。

一生のうちでこういう像に出合えて良かった。

久しぶりにハイな気分になれる展覧会だった。

 

 

 

 

 

 

 

世界に向かう子どもたち

朝の情報番組「スッキリ」でここ2週間毎日Nizi Projectについて紹介している。

日本から世界で活躍するガールズグループを生み出そうという企画だ。

最初のオーディションの様子から、2次3次、最終審査まで進んでいよいよ明日最終メンバーの発表がある。

世界を目指して一生懸命レッスンする少女たちの上達していく姿に感動している。

 

このプロジェクトの 総指揮者 J.Y. Parkさんの厳しく的確な、そして愛情のある評価に毎回すごい観察眼だと感じている。

一人一人をよく見ていないと、こういうコメントは出てこないだろうと思う。

 

このプロジェクトに挑戦している少女たちを見ていて、まだ小さくてもダメ出しや励まし、適切な評価をたくさんの人たちから受けながら好きなことに没頭する、そんな経験は貴重なんだと、今頃?ですがわかってきた。

 

この企画は日韓で進められている。

市場は世界。

映画「パラサイト 半地下の家族」の前あたりだったと思うが「韓国は世界を相手に映画を作っている」こんなコメントをどこかで聞いた。

「パラサイト」を見て、「あーそういうことか」思った。

そして映画「スウィング・キッズ」を見て、より「世界を相手にしている」それを実感した。

 

世界に目を向けて挑戦する子どもたち。

 

大人に目を向けさせられている、それだけでは頑張れない。

 

デビューしてからみんなで育てていくというスタイルから、プロとして活躍できる状態でスタートして世界を目指す、本人に相当な努力がないとスタートに立てない。

 

育てる側の視点、韓国はこの点が強いのかな。