「・・・自分のまんまできたなって思っている。・・・これで死んだとするじゃないですか。そうするとああこんなもんだったんだ、こういうのだな人生は、と思ってね。もっといろんなことがあるのかもしれないけど、知らなかったのかもしれないけど、それはそれでまあいいやと思って・・・私が知った限りの人生でいいかなと思ってね。・・・後悔は別に何もしてない・・・・子どもを産まなかったということに関しても・・・子どもを育てられなかったことも不幸せとは思ってないし・・・何も思い煩うこともない・・・ごめんなさいね。(後悔は)これっぽっちもないわ」
「過去を引きずらない 現在だけを考えて生きている 個性かもしれない」
「プロフェッショナルとは・・・・高度の技術と知識をもって仕事を継続してやっていくことと思ったんですけど、 情熱をもって熟練した仕事を継続してやっていける人」
一字一句書きとれたわけではないので、違っていたらすみません。
「嘘はダメ、正直である」よくテレビでそんなことを言われている。
後悔はこれっぽっちもないなんて、すがすがしい。
黒柳徹子という人を意識して見聞きするようになったのは、彼女が仕事を辞めてアメリカへ勉強しに行って、そこでの生活を紹介した女性誌だったか化粧品の宣伝雑誌だったかを読んでからだ。
38才の時だったそうだ。
当時私は10代後半だったかな。
私の中では昔から芸能界にいる人というぐらいの知識だったけど、そういう人が結婚とかでなく仕事もやめて勉強に行くってなんてかっこいいんだろうと思った。
特別な人生を送っている人なんだ、自分とは違う。
私なんてまだ若いのに家を出る勇気もなかった。
こんな風に生きていく人もいるんだなって興味を持った。
帰国後「徹子の部屋」が始まって最初からよく見ているほうだと思う。
衣装が楽しみで、知らない芸能人の過去の話や職人さんの作品を見るのが楽しくて。
年数を重ねて今も淡々とお仕事されている。
亡くなられた樹木希林さんがお元気だった頃も、よく対比して考えて見ていたりしていた。
お二人とも自分という人間をよくわかって自分の中でちゃんと筋を通して仕事をされているなと思っている。
「情熱」を持って今目の前の仕事に集中、そんな姿勢が共通しているのかな。
最近少しずつ気がついてきたこと、結局誰一人パーフェクトな人生は送れないということ。
何がパーフェクトか、「自分が知っている人生で起こるすべてを体験した人生」ということになるのか、「知りえなかった人生」もあるわけで、黒柳さんが言われた「私が知った限りの人生でいい」この言葉に「それだ!なんとなく感じ始めていたこと、気がつき始めたこと」。
明確な言葉で示してもらった、そんな感じだった。
結婚した年、第九ひろしま'89のゲストが黒柳徹子とわかり、合唱団に申し込んだ。
同じ舞台に立てたことがうれしかった。
まったく正面から拝見できませんでしたが(笑)
番組内で「100歳の時また取材に来て」と言われていた。
これからも日々淡々と未来を楽しみにお仕事励まれるのだろう。
100歳のプロフェッショナル、どんな話をされるのか楽しみだ。